判決は出したけどまだ裁判を終わらせたくない裁判長「私が幼稚園に通っていた頃、秋頃の話である。先生やほかの子どもたちと近くの森まで散歩に行き、気に入った木のみを幾つか拾い、持ち帰った木のみに紙コップを被しテープで止めた、小さなマラカスのような玩具を作るという時間があった。不気味な程大人しく、外に出ることが少なかった年少の私にとってそれは初めての体験で、先生の隣を逸れないよう慎重に歩いたことを覚えている。松ぼっくりとぽてっとした丸い太ったどんぐりを気に入り、いくつか持って帰ったはずだが、何の不注意か、気づけば帰る頃にはポケットには一つも入っておらず、そのことがわかった先生は他の子の木のみを寄越してくれた。勿論、態々持ち帰った木のみを取られた側にとっていい気はしないということはわかっていたのだが、私は何も言わず、その何の愛着もない木のみを握ってコップに入れた。家に帰ってから私は父親にファミリー・レストランに連れて行かれた。ホットドックに添えられたポテト用の余ったケチャップを指につけて舐めている時、やっと私は自分の愚かな心を自覚した。私は自分を制御しなくてはいけないと感じ、裁判官を目指した。自覚できない小さな罪を、罪として自分の中に芽生えさせる勉強の道具として使おうと思った。 幸い勉強は不得手ではなかった。判例を読み漁り、罪である部分を見つけて右手に持った鈴を鳴らす。鈴を鳴らすことによって自分の外と中どちらでも罪を知覚できるのだ。鈴を使わない手はないと思った。私の中の罪の芽はすくすくと枝葉を分け、鈴を持たなくても、鈴は鳴るようになり、42の頃、私は最高裁判所の裁判官に命じられた。 恥ずべき事だが、私が初めて 『チヤタレー夫人の恋人』を読んだ時、鈴は鳴らなかった。この事について、私は気にするべきではなく、放っておくべきものであると思っていたのだ。 猥褻である猥褻でないは、正直取るに足らないことだ。普段の生活の、何も脅かすことがないと私は思っていた。 私が千疋屋で菓子を選んでいる間、レジの上でスズメが脚を広げて交尾していても、全く差し支えなく、さらにスズメの愛液がグリーンがかったブルーの包み紙に染みたとしても、私はそれを気にすることがない。労働者階級と上流階級の性行為に、特別なエロスを感じるか?華奢で可憐な婦人が逞しい森番の男に揺さぶられる時の、その背骨の軋みを想像するのか?柿を啄んでいるカラスの横姿に興奮するのか?消えていたライトが灯く時の光のまたたきで、ささくれだった木が柔らかな皮膚に刺さる一瞬で、君は射精することが出来るだろうか。もし出来るのならばそれは君の、エロスを貪ろうとする力があるからであって、そのものには何の罪もなく、よってこの文書においても、同じことが言えると私は思っていた。 軈て気づいたことであるが、フルーツサンドを食べる時、私の中で鈴が鳴っていた。二ヶ月に一回、食べに行く喫茶店で毎回鳴る。私は別段気に留めることがなく、それは常に裁判について考えている、私の勤勉な気持ちが鈴を鳴らしているのだと思っていた。 挟まっていた薄い苺が落ちた時、私は自分がおかしくなったと思った。フルーツサンドに込める力を弱めることができず、そのまま黄桃がぼとぼとと落ちた。クリームまで出し切ってから、私は自分の性的欲求について自覚し、また罪の気持ちを持った。次に私がこの文書を読んだ時には、鈴はひたすらに鳴るようになり、私はこの本は規制すべきだと確信した」 |