お母さんへ 都会の生活はとても楽しいです。友達もずいぶんたくさんできました。だけどひとつだけ憂鬱なことがあります。それは歯医者に通うことです。さいきん虫歯ができてしまって、定期的に通院するようになりました。かん高いドリルの音がとても苦手で、診療日が近づくにつれ気分が重たくなるのです。でもふと思ったのですが、都会での生活というのは、もしかすると歯医者の治療のようなものかもしれません。都会に歯医者はいっぱいいて、慈愛に満ちた目つきによって患者を安心させながら診療を行います。歯医者の頭の中はきちんと整理されており、長年の蓄積により洗練されたその職業的な態度は、まさに都会的といえるかもしれません。しかし一方で歯医者は、決してそれを表には出しませんが、落ち着かないような苛立ちを同時に覚えています。というのも歯医者が考える歯の白さは、都会的な白さのイメージに結びつくからです。都会的な白さとは、要は都市における快適さや清潔さのイメージを色彩に置き換えたものであり、またその白さを維持、修繕、そして再構築することを含意します。厳しく管理された白い時間が流れ、白を白たらしめるよう私たちは日々の労働にあくせくするのです。輪郭のぼやけた世界で、私たちは焦点の定まらない不安を覚えます。歯医者が治療を進めていくと、歯と歯のあいだから赤い鮮血がにじみ、それは白い空間に位置する私たちの、感情の発露を思わせます。私たちは白さを担う日々の労働に悪態をつきながら、各々の事情や価値観に基づいて、余暇をできるだけ楽しく過ごそうとします。しかし私たちは都会の白さに縛られるのと同じくらい、その白さから恩恵を受けており、白関連の労働を憎みつつも、もはや白くない都会というものを想定することができません。私たちは深く息を吸い、親密で生々しい自己の世界に埋没してつかの間の忘却に浸り、やがて鮮血はそれ専用の器具によってきれいに吸引されて、我々は白さにひざまずく献身の日々へと戻っていきます。歯医者は表情を引き締め、残りの仕事に取りかかります。歯医者自身もそのような白い都会を構成する一部として、都会に存在するさまざまな白のなかの歯の白を一手に担っています。つまり歯医者もまた、白い歯と歯のあいだ、口内という都市空間に居住し、その白さを享受しながら生活しているのです。とすれば、この都市という口内エリアを診療している真の歯医者とは、国家権力とか、そういった私たちがその全容を把握することのできない大きな力ということになるのでしょうか。しかし口腔を私たちの社会、歯医者を何らかの権力だとして、ではその口を持つ身体、あるいはその身体の持ち主は何に対応するのでしょうか。歯みがきという行為があり、歯みがきをするのは(その口腔を持つ)人間なので、人間を社会とし、人間は基本的には自己メンテナンスによって健康を維持しようとするが、それでもほころびが生まれたときに医者にかかる、その医者とは国家のことである、というような置き換えを考えればよいのでしょうか。私にはもう何もわからなくなってしまいました。歯は白い、都会的な洗練されたイメージとしての白、みたいなところからなにか書ければいいなと思ったのですが。でもたまにはこういう手紙があってもいいのではないでしょうか。お母さんは私に興味がありますよね。私はお母さんやお父さんが私のやることを基本的に容認してくれ、そうして自主性を育んでくれたことにとても感謝しています。 |