主戦場対抗大喜利フェス2021
お題


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画像で一言


(出題:味本気アジさん)
私は鯨だ。孤独な鯨だ。雑踏の中に独りで生きる、孤独な鯨だ。


 「52Hzの鯨」という言葉を聞いたことがあるだろうか。これは太平洋上に生息するある鯨の一個体の呼び名である。その呼称は、彼の鳴き声の周波数が52Hzであることに由来する。彼は単なる一頭の鯨にもかかわらず、その存在は研究者のみならず全世界において幅広く知られている。それは何故か。

――そう、彼は”世界で最も孤独な鯨”である。

 通常、鯨の鳴き声の周波数は10-39Hzである。人間の可聴域はおおよそ20Hzから20000Hzの間であることから、われわれの耳で聞こえるか聞こえないか、くらいの低音域である。鯨の大きな特徴は、その低い声を用いてコミュニケーションを行うことである。しばしば「歌」に喩えられる、一定のリズムで繰り返し発せられる声によって彼らは意思疎通を行っている。そして、鯨には回遊という習性があることでも知られ、季節ごとに特定のパターンで海域を大きく移動しながら生活している。
 一方、「52Hzの鯨」は異なる。これは彼の鳴き声の周波数が特殊であることに起因する。前述の通り、彼は52Hzで鳴く。これはどの種類の鯨にも類を見ない音域である。そのため、他の個体とコミュニケーションを取ることはできず、独自の回遊パターンで行動している。そう、彼は広大な太平洋をただ1頭彷徨い続けているのである。


 ――世界中の鯨学者は、同じ境遇に苦しむ人間がいることを知っているのだろうか?


 以下の文章はすべて私の身に実際に起きていることである。

 私は先天性の難病を患っている。私はこの疾患を持って生まれ、幼い頃からずっとこの疾患に悩まされ続けて今に至る。この疾患はとても珍しく、一説によると100億人に1人、とかそんな確率らしい。ある医師によれば、少なくとも日本で同じ症例の患者は聞いたことがないそうだ。その病名は……

 カイロプテラ症候群。

 カイロプテラ症候群というらしい。私の人生を狂わせたのは。この疾患の症状として、声が極端に高くなることが挙げられる。声が高い人物としてクロちゃんを連想する人は多いだろうが、私はその域をはるかに超えている。私の声は人間の可聴域を上回る超高音、いわゆる「超音波」だ。専門家によれば、カイロプテラ(Chiroptera)というのはコウモリの学名で、その声がコウモリの鳴き声と酷似していることに由来しているらしい。あまりに症例が少ないため原因は不明だが、医師曰く声帯のつくりが人と少しだけ違うそうだ。

 少しだけ。そんな少しの差で、私の人生が狂わされてしまうなんて。

 この声のせいだ。私の人生がうまくいかなかった理由の大半はこの病気に原因がある。私の声は常人には聞き取れないので、幼い頃はずっと喋れない子だと思われていた。そのせいで小学校の頃はいじめに遭い、友達はひとりもできなかった。みんな喋れない子と友達にはなりたくないのか?いや、私、喋ってるのに。必死に喋っている私の声が届かない。口は動いているのに。声帯も動いているはずなのに。声が伝わらない。頑張って自分の気持ちを伝えようとしても、ただ背後の窓ガラスが割れていくだけだ。こんな日々を繰り返した結果、小3の頃に私は不登校になった。
 しかし、私の失敗はこれだけではない。例えばソシャゲのガチャで好みのキャラが引けて叫んだらスマホが爆発したり、買い物中に歌った鼻歌が文化放送と同じ周波数だったため日本中に放送されたり、さらに流行りの歌を口ずさみながら海辺を散歩していたら近くに魚群があると勘違いした漁師に一本釣りされたこともある。しかし、このような目に遭うこと自体が辛いわけではない。誰も私の病気に気づいてくれない、向き合ってくれないことが辛いのだ。仮に文化放送へ鼻歌の件を謝罪しに行ったとして、おそらく向こうは相手にしないか鼻で笑われるだけだろう。外見はただの一般女性であり、謎の怪音波の発生源がそこにいるとは夢にも思うまい。そんな悩みを相談しようにも、友達はいないし、家族ですらまともにとりあってくれない。母親も「うちの子は喋れないから困ったものねぇ」と思い悩んでいるが、私は喋れるんだよ! 声も出せるんだよ! それを証明する手段はないけど。こうして、私は孤独という閉ざされた檻のなかで文字通り息を潜めて暮らしていた。そう、Twitterと出会うまでは。

 私は中学を卒業した後通信制の高校に入学し、相変わらず孤独な日々を送っていた。人と関わらなくてよくなったとはいえ、依然としてやり場のない恐怖と不安が心の奥を支配していた。そんな私を救う存在となったのがインターネットである。以前からスマホでゲームなどをすることはあったが、SNSなどで他人と関わることはしていなかった。いや、できなかった。他人と心を通わせることすらできないのに、ましてや画面の向こうの名前も顔も知らない人と仲良くするなんて到底想像もつかなかった。
 きっかけは意外にもあっさりしたものだった。新しくリリースされたソシャゲのログインにSNSのアカウントが必要だったため仕方なく登録したTwitter。「せっかくだし情報収集のためにでも使うか……」と思いながらニュース関連の公式アカウントをひと通りフォローし、トレンドを眺めていると、気になるハッシュタグを見つけた。

 #病み垢さんと繋がりたい

 病み……垢?私はこの時「垢」の意味すら知らなかった。どういう意味なんだろう。ちょっと汚そうだな。私は興味本位で開いてみることにした。

 そこは深く黒い霧に覆われた楽園だった。暗く、湿っていて、しかし温かかった。

 どうやら「病み垢」というのは精神を病んだ人々が胸の内をさらけ出したり、同じ悩みを抱える人同士で交流をしたりするためのアカウントのことらしい。詳しく見てみると、病み垢たちは複雑な事情を抱える人が多いみたいだ。不登校、虐待、鬱、発達障害、PTSD、拒食症、さらに難病……いろんな人がいる。さすがに私と同じ人はいなかったけど。そして病み垢たちのフォロワーは、誰一人として彼ら彼女らを拒絶しない。どんな過去があっても温かく受け入れてくれる。こんな世界を見たのは初めてだった。私の救いはここにあった! そう思って私はすぐに病み垢を作った。


 気づいたころには、私はモデルになっていた。


 私は人に見てもらえる快感を知った。他人に褒められることがこんなに楽しいなんて。たった1枚の自撮りに何百、何千といったいいねがつき、落ち込むことがあれば数千人の私のフォロワーが心配してくれる。こんな私を受け入れてくれる世界があったなんて! 私の心の新月は明るさに満ちていった。誰にも見られず、せめて誰かに注目されたいという思いで始めたのに、むしろ今は誰かを照らしている。月は太陽より明るくなることはできないが、闇夜を少しでも明るくできれば、私は嬉しい。そして、病み垢として活動を続けていくうちに、「さらにみんなを明るく照らしたい」という思いが心に芽生えた。それいつしか私をランウェイに向かわせる原動力となった。

 モデルは天職だった。声は届かなくても、ここでは全く関係ない。たとえ離れていても、言葉が通じなくても、私の魅力は届く。私は雑誌やインスタなどのメディアを通じて、そしてランウェイの上で、自らの魅力を見せつけていった。他人が怖かった以前の自分はそこにはいない。確かにモデルは辛い業界だが、そんなことはもはや気にならない。今の私は、他人の視線を浴びるために生きているのだから。今日も。


 今日、私はステージの上にいる。会場のお前ら、見てくれ、私の姿を。


 私は鯨だ。大きな鯨だ。水面に顔を出した、大きな鯨だ。


 私はこんなに立派な鯨になった。52Hzの鯨のままだけれど。


 でも、今なら私の声が届けられる気がする。今なら。


――聞いてくれ。私の声を。


 ピーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 待って


 やばいめっちゃコウモリ寄ってきた


 助けて


 ――小鵜森 栖子『私が紫綬褒章を受章した理由』(2057年, PHP文庫)より, 一部抜粋
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