7月10日という日付は、競おじさんファンにとって大きな意味を持つ。 その日、関東地方に迫っていた台風6号の影響で大井競おじさん場は嵐の様相を呈していた。しかし、そんな過酷な状況下にありながらも、会場に集まった賭おじさん(※競おじさんに興じるおじさんはこう呼ばれる)たちから熱気が失われることはなかった。なぜならばこの日は競馬におけるG1レース、競おじさんの頂点が決する『壮年杯』の開催日であったからだ。 ここでまずは、競おじさんに明るくない諸兄姉の皆々様に対し、いささか簡単ではあるが競おじさんの仕組みについて説明を挟ませて頂くとしよう。最初に押さえておかなければいけないこと、それは競おじさんに出場しているおじさんは全て、なりたくて競おじさんになったおじさんではないということだ。理由はそれぞれだが、自身の過失によって一般的な社会生活を送れなくなり、その代償として競おじさんへの出場を課されている、それが競おじさんという存在だ。「年齢を重ねたおじさんは自分という存在がすでに完成されてしまっており、通常の刑務作業や罰則によっての更生を図ることは困難である」という日本政府の判断のもと、より過酷で羞恥的な更生手段として競おじさんが考案されたというわけだ。人権の軽視ではないかと多くの論争を巻き起こしたが、結果としてシステムは定着し、競おじさん事業を一手に担うJOAの年間収入は10兆円を超す一大市場となった。賭おじさんたちはなぜゆえにそこまで競おじさんに魅せられるのか。あの嵐の7月10日、大井で『壮年杯』を目撃した賭おじさんの証言から紐解いて行くとしよう。 ----------- 【堀元 丈二(68歳 / 賭おじさん)の証言】 もう3年前か。早いもんだな。やっぱりさ、壮年杯はいつだって熱くなるよな。1着になれば晴れて自由の身だ。1年に1回っきりのチャンスを死にもの狂いで掴みに行くおじさんたちの姿はそりゃあ美しいもんよ。そりゃあ俺らもさ、賭けに勝ちてえって気持ちもあるけどさ、なんつーかよ、競おじさんってもっと深い所で美しいもんなんだと思うんだよ。もちろん俺はこんなシステムはクソでしかねえと思ってるよ。おじさんを見世物にするなんてさ。でも実際俺らができることはよ、あの地獄から這い上がろうとするおじさんを応援することだけなんだわ。それぞれのおじさんが過去に何をやらかしてそこにいるのかをさ、インターネットっつーのかい?ほじくり返して楽しんでる連中もいるみたいだけどよ、俺には興味ねえしよ、あの嵐の中を大井に集まった生粋の賭おじさんのみんなもさ、同じように興味ねえというか知りたくもねえ、知るべきもんじゃねえって思ってると思うよ。そういうもんじゃねえんだよな。で、なんだっけ。そうだ大井だ。あの日の大井は美しかったなあ。今でもあれが現実だったのか夢だったのかよ、わかんなくなる時があんだよな。そうそうたる顔ぶれだったよ。18人のおじさんがさ、ゲートに収まってさ、ギラついた目でスタートの合図を待つわけよ。まず、その目だわな。馬じゃ味わえねえよ。意味が違えんだもん。その積み重ねて来た過去と、見据えてる先のさ。で、土砂降りの雨と吹きつける強風で最悪の状況でスタートってなったわけよ。場内にかかるファンファーレと雨風の轟音と俺たちの怒号みたいな歓声でよ、もうその場に何が聞こえてんのかわかんねえ混沌とした状態だったよ。ゲートが開いて各おじさんいっせいにスタートしたよ。でもさ、地面はもう最悪なわけ。ぬかるんでよ、足は取られるし滑るしでよ、50、60のおじさんがまともに走れる環境じゃなくてよ、とても年間王者を決める大会とは思えない、文字通りの泥仕合だったんだわ。そんで気づいたらさ、泣いてんだよ。走ってるおじさん全員泣いてんだよ。大雨で涙もクソもわかんねえだろって思うかもしれないけどよ、同じおじさんなんだよ、わかんだよ、泣いてんだよ。涙の理由なんてわかんねえけどよ、伝わんだよ、気持ちが。俺らも泣いたよ。なんで自分が泣いてんのか自分でもわかんなかったよ。俺らはよ、競おじさんに駆り出されてるおじさんみてえに罪を背負った過去もないけどよ。でも悔しかったり苦しかったり何にもうまくいかなかったりして、そんな色んな思いをしながら同じだけの時間と時代を生きてきたわけよ。だからわかっちまうのよ。わんわん泣きながらよ、声がぶっ飛ぶまで声援を送ったよ。少しでも声を弱めたらよ、走ってるおじさんたちの泣き声が聞こえちまってよ、おじさんらが泣いてるのがみんなにバレちまう気がしてよ。バカだよな。もうその場にいるおじさん全員が泣きながら叫んでてよ、そうやって叫んでる理由をお互いわかってるんだからよ、もう誰に何を隠すこともないってのにな。そうして涙と雨と泥でぐしゃぐしゃになった18人が団子状態になって迎えたゴール直前だよ、ふいに雨と風が嘘みてえにピタッと止んでよ、太陽が射してよ、ゴールの真上に虹がかかったんだ。そしてよ、客席の賭おじさん全員が見たんだよ、虹の下を笑いながら駆け抜けていく18人の少年の姿をよ。10円ハゲのガキ大将、鼻水たらしたランニングシャツ、ビン底めがねのガリ勉、そんなやつらがよ、笑いながら虹の下を駆け抜けていったんだ。ハッとしたらまた雨が降っててよ、少年たちの姿はなくて、おじさんたちは疲れ果ててコースに倒れこんでたよ。あん時の1着は誰だったっけな。もう覚えちゃいないけどよ。あの不思議な光景だけはハッキリと覚えてるし、この先忘れることもねえだろうな。 ---------- 【塚田 聡史(59歳 / 元・競おじさん)の証言】 はい。確かに私があの雨の壮年杯の勝者です。あの時はとにかく無我夢中で、気づいたらいつの間にかレースは終わっていて、多分あの時一緒に走っていた皆も同じ感覚だったと思います。あれから私は自由の身となりましたが、私がやってしまったことに対する贖罪は決して終えたわけではありません。一生をかけて償っていくつもりですし、こうやって社会生活を送れるようになったことは、その機会を頂けたという、これ以上なく有難いことだと感じております。本日は私のような者のために貴重なお時間を割いて頂き、誠に有難うございました。今後とも、あの競おじさん場で今もまだ戦い続けている仲間たちと、こんな私を応援してくださった賭おじさんの皆様を、どうぞあたたかく見守ってくださいますよう、宜しくお願い申し上げます。 ---------- 【五郎丸 歩(36歳/ラグにいさん)の漫談】 はいどうもー!病気の赤ちゃんを!守りたい!孤高のラグビープレイヤー、五郎丸歩です!よろしくお願いしまーす!ラグビー大好きー!ってことでね、やっていきたいと思いますけども。今日はキレイなお客さんがいっぱいいらしてますねー!そちらからべっぴんさん、べっぴんさん、ひとつ飛ばして稲垣くん!ってオイオイオイ!笑わんやつが客席におるやないかい!やめてくださいよ本当にねーとか言うてますけども。そんなことより五郎丸こないだね、人間ドックに言ったんですよ。そしたら検査の結果ね、お医者さんに言われたのが、「五郎丸さん、あなたあれですね、人間というより蟻に近いですね」って言われたんですよ。ちょいちょいちょいちょーい!誰が蟻やねーん!一所懸命がんばって穴掘ったろかー!はい!はい!はいはいはい!病気の赤ちゃんを!せーの!守りたい!言うてますけどもねー。はい、じゃあ最後に焼きおにぎり配りまーす。欲しい人、手を挙げてー。投げますよーはいどうぞー!はいもういっちょー!はいそっちもういっちょー!はいそっちのお母さんにももういっちょー!はいもういっちょー!まだまだありますよはい手を挙げてはいもういっちょー!はいそっちいきますよもういっちょー!はいどうぞもういっちょー!ご声援ありがとうございます!ご声援ありがとうございます!そっちにも参りますよはいどうぞ焼きおにぎりですよ投げますよはいもういっちょー!あらあらお母さん感激して泣いちゃってありがとうね僕がんばるからねお母さんの期待に応えられるようにこれからもラグビーがんばるからねはいもういっちょー!まだまだ焼きおにぎりはございます!ご遠慮なく手を挙げていただいて!はいそっちに参りますよはいもういっちょー!どんどん参りますよはいもういっちょー!ありがとうございますはいもういっちょー!ご家族みなさんで食べてください!おいしいおいしい焼きおにぎりです!お弁当に彩りを添える一品に、学校帰りのちょっとしたおやつに、焼きおにぎりはいかがですか!さあそちらに投げますよはいもういっちょー!はいじゃあラストー!はいこれで行き渡りましたでしょうか!ではこれにて僕のステージは終了です!最後に皆さんご唱和ください!はい!はい!はいはいはい!病気の赤ちゃんを!ご一緒に!せーの!守りたい!五郎丸歩でしたー!また午後のステージでお待ちしてます!ありがとうございましたー! |