サメVS巨大タコス さんの作品
少年にとって、大の大人が、しかも模範となるべき教師が、取っ組み合いの喧嘩をしているというのは衝撃的であった。
10分前。担任の宮内先生はいつものようにプリントを配っていた。宮内先生は、いつもポロシャツを着ている、爽やかな先生だ。女子からも人気が高い。いつものように、素早く5枚取って先頭の子どもに渡す、そんな所が好きだった。 その直後、ガラガラガラ、と扉が開く。入ってきたのは体育の佐々木先生だった。いつもジャージを着ている、ハゲを隠すようにワックスで髪を逆立てている体育教師は、いきなり宮内先生を平手打ちした!! 佐々木先生は何か怒鳴っていた。すごい剣幕で宮内先生を捲し立てていた。正直、何を言っていたかは聞き取れなかったが、一方的に責め立てていた。 その時だった。今度は宮内先生が佐々木先生を平手打ちした!! 本当に意外だった。爽やかな宮内先生が、まさか生徒たちの前で堂々と暴力を使うとは思わなかった。 佐々木先生は呆気に取られたのか完全に動きが止まったところで、宮内先生が更に追撃を仕掛けた。ただ、流石は体育教師。宮内先生の腕を掴んで噛みついた!!大の大人が歯を立てたのだ!! そこからはもう揉み合いだった。スマートな殴り合いではなかった。互いに引っ掻き合い、噛みつき合い、つねり合い、髪もつかみ合っていた。爽やかな宮内先生も、見栄っ張りな佐々木先生もそこにはおらず、男たちがただただ醜く争っていただけだった。
少年の住む地域は治安は悪い方ではなかった。たまに深夜の駅前で喧嘩じみたことがあっても、すぐに警察官が仲裁に入るし、そんな様子を小学生たちが頻繁に見るはずがなかった。そういった、いわばぬるま湯のような環境のせいもあるのだろう。クラスメイトたちは、完全に呆気にとられていた。誰も止めようとはしないし、職員室の他の先生を呼ぼうともしなかった。それどころか、いつもはうるさい女子は悲鳴すらあげないし、いつもは騒がしい男子は微動だにしなかった。少年は急に俯瞰的になって、教室中を見渡した。
前田サクラは空手の大会に優勝したこともあり、いじめっ子の男子を泣かせたこともあった。口をあんぐり開けていた。 内藤メイは帰国子女で全校生徒の前で英語のスピーチをしたこともあった。口をあんぐり開けていた。 高橋イサムはクラスのお調子者で、よく一発ギャグとかを披露していた。口をあんぐり開けていた。 奥野サトコは真面目な学級委員で、掃除をサボる男子を注意するあまり、泣き出したことがあった。口をあんぐり開けていた。 犬飼リュウタはサッカーが得意で、休み時間は率先して校庭に遊びに行った。口をあんぐり開けていた。 飯島サキは頼めば絵を描いてくれるし、自由研究では教室のミニチュアを作って保護者の噂になった。口をあんぐり開けていた。 竹内シュンスケはネットミームを教えてくれたり、運動会でボカロを流そうとして止められたりしてた。口をあんぐり開けていた。 佐野マイカは放課後にK-POPアイドルのダンスをカバーしていた。口をあんぐり開けていた。 白石ハヤトは足が速くて、小1の貯金を切り崩してるみたいな奴だった。口をあんぐり開けていた。 福士ケンゴは野球が得意で、地区大会4位の立役者だった。口をあんぐり開けていた。 渡部エイジは実家がパン屋で、大縄跳びで回す人を任されることに誇りを持っていた。口をあんぐり開けていた。 桐山ユウトはクイズが大好きで、クラスの誕生日会は彼のおかげで回っているといっても過言ではなかった。口をあんぐり開けていた。 井上ナツミはプールの時間は見学ばかりでズルいと言われても黙って笑っているような子だった。口をあんぐり開けていた。 瀬戸ミツキはヴァイオリンを習っていたが、年賀状の写真でしか活動を確認出来なかった。口をあんぐり開けていた。 佐藤リョウは紙粘土で自分を模した「リョウくん人形」を作って配っていて、本人がいる手前、捨てにくかった。口をあんぐり開けていた。 水島ヒヨリは字が綺麗で、税に関する書道コンクールで賞をもらうほどだった。口をあんぐり開けていた。 細川アスムは昆虫に詳しくて、カマキリの幼虫を捕まえてきては、女子から引かれていた。口をあんぐり開けていた。 半田タクミは給食で最初にゼリーを食べるのを注意されてもやめなかった。口をあんぐり開けていた。 須賀ユヅキは平等と公平の違いを理解していて、給食ではクラスメイトの胃袋の大きさに合わせて配膳することができた。口をあんぐり開けていた。 賀集ヤマトは勉強がよくできて、塾でも上位のクラスにいたが面倒見もよくて分からない問題を教えてくれた。口をあんぐり開けていた。 小田切ユウイチは実家が太く、よくハワイのお土産を買ってきてくれる、羽振りの良い奴だった。口をあんぐり開けていた。 望月ヒナはマスクを外したことがなく、声も小さかった。口をあんぐり開けていた。 土門リクはあまり顔が似ていない双子の弟がいて、弟より背が低いことをよくいじられていた。口をあんぐり開けていた。 石川カスミはよく他の女子とつるんでいて、男子の顔を品定めをするのが好きだった。口をあんぐり開けていた。 倉田アンはよく他の女子とつるんでいて、液体糊と赤ボールペンで偽物の傷を作るという謎ブームを流行らせていた。口をあんぐり開けていた。 高杉ハルカはよく他の女子とつるんでいたが、劇で主役をやりたがるなど目立ちたがりで、やや嫌われていた。口をあんぐり開けていた。 村上アオイはよく他の女子とつるんでいた。よく小さい弟や妹の面倒を見ていたり、遠くの業務用スーパーまで自転車を飛ばしているのを見かけた。口をあんぐり開けていた。 荒木コウヘイは学校の備品を壊すし、同級生を殴ったりするシンプルな問題児だったが、ミシンの使い方が上手かった。口をあんぐり開けていた。 岡崎ミサトはややガサツな性格で、靴下に穴が開いているのを指摘されても開き直って場を和ませられた。口をあんぐり開けていた。 速水ノゾミは筆箱にいっぱいシールを貼っていて、たまにくれることもあった。あまりに貼りすぎて教師から注意されることもあった。口をあんぐり開けていた。 藤岡マサミチは口数が少なく、学校でも家でもヘラヘラ笑っていた。勉強はやや出来たが、本当にややという程度で、音楽も体育も全くダメで、彼のお誕生日会も明らかに盛り下がっていた。口をあんぐり開けていた。
少年は腹が立っていた。もちろん教育者としての立場を忘れ、気の赴くまま殴り合っている教師たちへの怒りもあった。しかし、それよりも、このような非日常的な事態において、誰1人として、そう誰1人として、主体的に事態を解決しようと動く者がいないことが無性に腹立たしかった。クラスのスローガンとして「ひとりひとりが主人公」なんて掲げてはいるけれど、大人2人の喧嘩の前で、31人の小学生は一様に木偶の坊でしかなかった。そして、少年もまた、そのような木偶の坊の1人でしかないことが許せなかった。やがて、少年のあらゆる怒りは、「自分も木偶の坊の1人でしかないこと」に集約されるに至った。しかし、この、あまりにも膨大かつ急激に湧き上がってきた負の感情をまだ幼い少年が抱え込むには、負荷が大きすぎた。
少年は様々な出来事が頭の中でフラッシュバックした。
保育園で水溜まりに落とされたこと、劇でやりたくもない河童の役をやらされたこと、家族と箱根に行って池に落ちた事、雑巾を顔面に押し当てられたこと、水でいっぱいになったペットボトルに蟻を詰めている友達をただ見ていたこと、いじめっ子に押されて女子トイレに入ってしまったこと、遠足の序盤で水筒の水を飲みきってしまったこと、間違えて女子のリコーダーを使ってしまったこと、給食費が盗まれたときに疑われたが何も言わなかったこと、それで母親が泣き出したこと
少年は記憶が結合して一筋の光になるのが見えた。
相変わらず大人たちは取っ組み合いをしている。 少年は一歩踏み出し、大きく息を吸った。
「おまんこ街道ヴァギナ坂」
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