樹上歌人 さんの作品
__さあさあお立ち会い、稀代の天才奇術師タル・エル=ハマム・ハマモトの奇蹟をとくとご覧あれ。泣けば叢雨・怒れば火龍・笑えば花野の七変化、偉大な壇にひとたび立てば雷神風神なんでもござれ、霧に姿を消したと思えば月から奴の声がする。我らが時代の新たなる神を、どうぞ盛大な拍手でお迎えください__
見るとはなしに見ていたリビングのテレビから、やけに陽気な声がそう告げる。さきほどから流れているのは、奇術の歴史を語る番組だった。「マジック」の語源にあたるという古代ペルシアの司祭マギについての説話から、引田天功のような現代のマジシャンに至るまでを、小学生向けのやさしい解説とともにたどっていく。 いまのアナウンスは、タル・エル=ハマム・ハマモトの過去の公演の映像。彼は今世紀最高峰のマジシャンと名高い__あるいは、名高かった。そう、彼はもうこの地上にはいない、タル・エル=ハマム・ハマモトは彼の吐いた炎の中で燃えて死んだ。
それは彼の奇術史における最大の公演のフィナーレのことだった。最終演目『タル・エル=ハマム・ハマモトの空中爆発』は、彼の自在な飛行にとりどりの屋内花火を伴って、つつがなく進行する。その盛りあがりの最高潮、彼の高度はショーの最高点に達し、その場所で静止して盛大な火を吹く。火吹きは彼の代表的な得意技だった。火を吹きつつ、彼はすばやく回転しながら滑空する。ここで観衆のごく一部が異変に気づきはじめる、しかし大半は壮大な演出の一部にすぎないと思っていた(実際、彼の死までもが壮大な演出の一部にすぎなかった、という可能性は否定できないのだけれど)。彼の吐く炎はだんだんひとつの形を為し、そのまま巨大な火球となって数度上空での爆発を繰りかえしたのち、ついには舞台に激突した。 狂炎は異様な速度でみるみる燃えひろがり、劇場は前代未聞のパニックに包まれるかと思われたが__火の手は客席にたどりつく前に不意に勢いを失い、これまた異様な速度で、そのままひとりでに鎮火した。壇上に残ったのは、呆然と立ちつくす、火傷ひとつ負っていない助手__タル・エル=ハマム・ハマモトの妻であった__と、タル・エル=ハマム・ハマモトその人の焼死体であった。 不可思議なことに、この事故後の火災鑑識において、火の原因物質はいっさい検出されなかったという。彼が科学者にすら知られていない物質を、炎を創りだす道具として用いたのか、あるいは。 タル・エル=ハマム・ハマモトはその最期にして、真に火焔を吐く奇蹟の男となったのだと、まことしやかに主張する者もいる。
タル・エル=ハマム・ハマモトと助手との間には一人の子どもがいた。それが、同じクラスで化学部の浜本だと知ったのは、つい先日のことだった。本人から聞いたわけではない、サッカー部のチームメイトのだれかから聞いた。だれだっけ、吉野だったかな。 浜本は高校ではどうにも控えめなやつで、話したことはほとんどない。ただ、一度だけ、俺の家の前で浜本が何人かのごろつきらしきもの(この周辺はあまり治安が良好でなく、Yahoo!知恵袋で実在を疑われるような、昔ながらの悪漢のような人々が割と出没する__大通りを歩いたほうがいい)にからまれているのを見かねて、 「やあ、よく来たな! まあ入れよ」 とかなんとか適当なことを言って、強引に浜本の手をつかんで家に引き入れたことがある。たいていごろつきが家まで押しかけてくることはない。治安が悪いということは、治安を悪くするような人間が住んでいるということで、不用意に知らない人の家なんか訪ねようものなら、それこそ鬼が出るか蛇が出るか判らないから。蛇だったらラッキーな部類だと思う。 そのときは浜本がしきりにお礼を言ってきたのを覚えている。念のため、しばらくたってから、このあたりよりも人通りのある道を選んで歩いたほうがいい、と伝えて帰した。それからはこれといった会話もない。 『それではよい子のみな、また来週も見ておくれのう』 テレビでは、頭の左右に綿菓子が乗っているような不自然な髪型で、へんに高齢を演出するような不自然な話しかたの博士__博士号を所持しておるかは不明じゃが__が、手を振っている。教育番組のいちコーナーだったらしい。 きりもいいので夕飯の材料を買いに出よう、きょうは華やかな献立にするのも悪くない、と思った。
我ながら不用意だった、と思う。 「君、財布いま手に持ってたよね、入ってるだけでいいから、貸してくれるとお兄さんたち助かるなあ」 なんて言う謙虚な複数の大人たちとは、できれば出会いたくなかった。 どうしようか、隙を見て前に逃げるか、後ろに逃げるか__商店街のある通りまで走って出れば人目があるだろうか、さすがに走って追いかけられている状態で自宅に戻って入ろうとするのは非現実的だろうか__などと億劫に考えていると、真っ赤になった。目の前が、いきなり。 それが盛大な火だと気づくのに数秒かかった。炎の方向のせいだろうか、熱くはなかったからだ。しかし謙虚な人々は、「あち」「あちち」など口々に、その謙虚さを発揮して散り散りに帰っていってくれた。 ええとこれはどういうことだ、背後でだれかが火を放ったということならもっと厄介なことになるかもしれない、そう思って後ろをふりむくと。 そこにいたのは他でもない、浜本だった。火を吹いていた。すべて吐ききると、小さな口元から小さな火の粉を散らしながら、 「だいじょうぶだった?」 と、浜本は言った。
とりあえず、スーパーに行く途中だったと伝えたら、浜本は「おれも」と言った。このあたりは通らないほうがいいと言ったのに、浜本、こう見えてひとの助言を聞かない質なのだろうか。 広い通りとはいえ、あまり人気のない並木道をふたりでゆっくり歩きながら、浜本は彼について、彼の父について、すこしずつ話しはじめた。
いいかい、火を吹くときは、自分が燃えている光景をイメージするんだ__いつか父さんは言った。 「たとえば神がソドムを焼いた炎の中で燃えている自分を」 そう言って父さんはスピリタス__ポーランドの強いウォッカ、消毒薬としても用いられる__をぐいっと口に含み、パラジウム製のエス・テー・デュポンに種火をともす、それに向かって酒を霧状に一気に吹く。盛大な炎が、がらんどうの劇場をあかあかと照らす。父さんはいつもこの場所で奇術の練習をしていた。 火を吐き終えると、ふうと息をついて続ける、 「あるいは」そう口にする父さんの目はどこか虚ろに、ここではない、ずっと遠くを見ているように思える。「最後の審判の罰、その永遠の火の中で燃えている自分を」 しかし、やがて父さんはいつものおどけた表情に戻り、 「さて、もうひとつのアドバイスは、ひげをよく剃っておくことだ! 燃えうつってしまってはとても危ない……きみの愛するアイスクリームをもってしても、消火できやしないさ」彼自身のつるりとした口元を指さしてほほえみながら言う。 もっとも__いまのきみのような小さな魔法使いさんにはまだ関係のない話だがね、私の愛すべきぼうや。
父さんは科学が好きだった。自身も科学を勉強するはしくれとなった今となっては、とくにその事実がよく分かる。処分しないまま家の倉庫にまだ残されている、様々な奇術の道具。火龍と賞賛された火吹きは高純度エタノールの燃焼反応にすぎなかったし、雷神と絶賛されたショーは高電圧パルス・ジェネレータの大規模な稼働にすぎなかった。父さんはそれらの化学的あるいは物理的現象の知識と、そのあらすじを巧妙に隠匿する技法とによって、神と呼ばれる地位までのぼりつめ、そして彼の最大の奇蹟のトリックを隠しとおしたまま、神のまま死んだのだった。 神は死んだ。 ニーチェのこの言葉、すなわち一度目の神の死亡は、世界史における科学的精神の成熟をあらわすという。 そして、神は死んだ。 そうすると奇術の神タル・エル=ハマム・ハマモトの死、すなわち二度目の神の死亡は、奇術史における科学的精神の夭逝をあらわすといわねばなるまい、なんてね。
あのね、わたし、お父さんに謝らないといけないな__月夜、葬儀の帰り道、母さんは言った。 「どうして?」と尋ねると、 「わたし、お父さんの死をちゃんと悲しめなかった」 母はそう言ってつらそうにすこし笑った。 「わたしが無理言って結婚して、無理言ってあなたを産んだのに」 月光がふたりの影を淡く伸ばす。 「お父さんは女の人との恋愛にちっとも興味がなかった、時代の寵児だったあのひとがわたしと協演したいと申しでたのは、わたしのマジックの才能を認めたから、それだけ」 こんな話、息子にするもんじゃないかな、でもあなたは優しく賢く育ってくれたから、許してくれると嬉しいんだけど、なんてね。母さんは言う。なんてね、は、母さんが気持ちを抑えようとしているときの口癖だった。 「でもマジシャンとしてのわたしのほうが、異性愛者としてのわたしよりずっとでしゃばりで、お父さんが焼け死ぬのを、タル・エル=ハマム・ハマモトの最期の奇蹟をいちばん近くで見れた喜びで、まだ胸の高鳴りがやまない」 月はだんだん雲に隠れる。ふたりの影が闇に浸透していく。 「わたしはこんなに薄情なので地獄行きかもしれないから、いつかあなたが訊いてちょうだい、栄光ある助手のわたしにすら秘密だった、とっておきの奇蹟のタネはなんだったの? って」 だって気になるでしょう、爆発のなかで焼け死んでいくとちゅう、あのひと、わたしが見たこともないほどの最高に爽やかな笑顔で、笑ってたんだもの__そう母さんは続けた。 ああ。このひとは。父さんが、このひとを置いて奇術に殉教した夫が、かの天才奇術師タル・エル=ハマム・ハマモトが、その本人の予想に反して天国に迎えいれられたと、本気で信じているのだ。
そこまで浜本は話し終えて、ふと黙りこんでしまう。自分のことを話しすぎたと思っているのかもしれない。ただ、ふだん誰にでも控えめな浜本がすすんで自らの話をしてくれるのは、不快ではなかった。それがただ場を繋ぐためだったとしても。 今度はこちらから話しかける、 「俺のために怒って、直伝の火吹きを放ってくれたわけだ」 「……うん」 「自分がチンピラにからまれても怒らなかったのに?」 「……だって、優しいクラスメイトがひどいことされそうだったら怒るだろ、ふつー……なんてね」 「……ありがと」 浜本の話によれば火を吹くためにきついアルコールを口に含んだのだから、すこし酒気にあてられているのかもしれない、いま浜本の頬はほの赤く色づいて、ひげの一本もない口元はやわらかく太陽の光を受けている、瞳は心なしかうるんでいる、その目を見つめていると、知らない魔法にかけられてしまいそうな奇妙な気分になる。 しばらくその感覚に浸っていると、浜本がふい、と目を逸らしてしまう。そして、 「あのさ、おれ」 「うん」 「母さんはああ言うけど、父さんのこと、やっぱり身勝手なやつだとおもってる」 やや強引に父のことに話を戻して、だから、と続ける、 「すごい科学者に、宇宙を股にかけるほどの科学者になって、父さんの最後の奇術のタネを掘りかえしてやる、いや、それだけじゃない、もっとすごい宇宙の奇蹟を、いくらでも見つけてやる」 そう言ってはにかむ浜本の表情はやはりきれいで、なんのタネもないのに咲く花は、かのタル・エル=ハマム・ハマモトが劇場に咲き乱れさせたという幾千万の花々にも負けないくらいの奇蹟のように感じられる。 「あんたの知らない奇蹟はこの世にまだまだあるんだって、劇場じゃないけど、せめて学会の壇上から父さんに知らしめて、地獄で後悔させてやるんだ」 そしたらあの父さんのことだ、永遠の火なんか魔法みたいにぬけだして、ふてぶてしく地上に帰ってきやがるに違いないや。浜本は今度はすこしさみしそうに言う。 そうして浜本の奇蹟が完成するとき、いや、完成したあとも浜本の隣にいてやれるのが自分だったらいいと、なぜか思った。
__さあさあお立ち会い、伝説の天才奇術師タル・エル=ハマム・ハマモト、の息子、ただの浜本の奇蹟をとくとご覧あれ。泣けば叢雨・怒れば火龍・笑えば花野の七変化、偉大な壇にひとたび立てば雷神風神なんでもござれ、霧に姿を消したと思えば月から奴の声がする。我らが時代の新たなる友を、どうぞ盛大な拍手でお迎えください__
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