お手紙ありがとう!
昨日、結婚式が終わって別れ際に突然手紙を渡されたときは驚いたなー。 「式が終わった後で読んでね」なんて言うから、ひょっとしたら普段言えないクレーム??なんて、封を開けるまでちょっぴりドキドキしてました。 (今思い出すと、健次さんも驚いてたね。この手紙のこと知らないのかな?だったら、女どうしの秘密だねv)
さっき普段言えないって書いたけど、ちょっとだけそんなこと書いてみようかな。
私がウエディングプランナーになった理由。
ある言葉がきっかけなの。とても重い言葉。 この言葉を受け取ってから、今までの人生で忘れることは無かった。
11月24日。ふたりが式を挙げた日。 私が高校1年だった頃のこの日にあることがおこったの。
この日にね、お婆ちゃんが死んじゃったの。 ごめんなさいね。こんな話。でも香織ちゃんには聞いて欲しい。
お婆ちゃんは認知症ってすぐわかるほどボケてた訳じゃないけど、ちょっと怪しいかな?って感じだったの。 もう足腰も弱いのに、畑仕事をしていたなごりからか、すぐ外に出て家族を心配させてた。 でも私たち家族は日々の出来事に追われて、お婆ちゃんの事を二の次にしていた。 だって「あんた誰?」って突然言われる。みたいな「これは認知症だ」って分かりやすい出来事が起こらなかったからね。でもそれが間違いだった。
11月24日、電車を乗り継いでやっと行けるショッピングモールに昼前から出かけてた母と私が夜に帰ってきて、家には弟とお婆ちゃんがいるはずだった。(父は幼い頃から行方がわかりません。母もそのことは話したがらないの)
弟は自分の部屋でゲームしてた。 でもお婆ちゃんがいなかった。履き物もなかった。 弟はずっと自分の部屋でゲームに熱中してて、お婆ちゃんが外に出たことに気づいていなかったみたい。
私の家は山のふもとだったの。 11月も終わる時期、冷えるし暗いし人通りも少ない。すぐ3人で探したよ。もし何かあってもお婆ちゃんを見つけてくれる人は少ないだろうって思ったから尚更。
お婆ちゃんは、山に向かう坂道の脇で倒れてた。
元気だった頃のお婆ちゃんが、たまにあったゴミのポイ捨てに腹を立てて、「ゴミはここに捨ててください」って貼り紙をしてわざわざ自分で置いたゴミ箱の横で倒れてた。
ゴミ箱の隣にはタバコの吸い殻があって、お婆ちゃん、それを拾おうとしたんだと思う。 それでしゃがんで、尻餅ついて、起き上がれなくて、声を出しても人も車も通らなくて、寒い日で、この時間になるまで、衰弱して死んでいくお婆ちゃんが3人ともすぐイメージできた。
お婆ちゃんが死んだことで一番悲しんだのは私。一番驚いたのは弟。 弟は悲しんでなかったと思う。むしろ驚いたまま、何が起こったのかわからない顔のままお葬式も、火葬も済ませた。
一言だけ、火葬の後に呟いた。 「僕がゲームなんかしてなければ」
って。
それが弟の最後の言葉です。
勘違いしないでね。今も生きてるよ。普通に生活しています。
でも、あれから少なくとも私は声を聞いてない。 それであの顔のまま、「何が起こったのかわからない顔」のまま、食事をしてます。生活をしてます。たまにフラッと外に出掛けます。
私は大学に行って、心理学を専攻した。心理学者になって弟の心を探したかった。 そして何より偉くなりたかったの。
人の死を笑う馬鹿に復讐してやりたかった。
実はお婆ちゃんの葬儀の数週間後。 お婆ちゃんが貼り紙して置いたゴミ箱の横。 お婆ちゃんが倒れていた場所にドラム缶が置かれていたの。それにも貼り紙がしてあったの。
そこに、なんて書かれてたと思う?
「とても大きなゴミはここに捨ててください」
それで、今の先輩の由美さんに出会って「なんの仕事してるんですかー??」って聞いたら 「人の門出を祝う仕事よ!」(キリっ 笑っ) って言われてウエディングプランナーに絶対なるぞーって!!(笑っ) |