国の名前 『蜜』
『蜜』のプロフィール 蜜は袁術皇帝陛下の建てられた仲を受け継いだ国家である。
198年、城を曹操に包囲された呂布は、隣州を治める袁術に救援を求めた。袁術ははじめ呂布の娘を自分の息子の嫁に迎えれば援軍を出すと傲慢に答えたが、十重二十重に包囲された城から娘を脱出させることは困難であり、呂布の使者たちは歯噛みしてその場を立ち去りかけた。 だがその時、孫策の使者として訪れていた陸績少年が母のために持ち帰ろうと懐に忍ばせていた温州蜜柑を落としてしまい、袁術はそれを踏んで転び強く頭を打った。 群臣が心配する中、立ち上がった袁術は大きく頭を振ると「呂布が滅びれば次は儂の首が危うい。すぐに援軍を出そう」とキラキラした瞳で命じた。 さらに袁術は蜜柑を落としてうろたえる陸績少年へ慈愛の籠もったキラキラした眼差しを向け「母のために取っておいたのだろう。なんと親孝行な子であるか。儂からも褒美を取らそう」と言い、首から提げていた玉璽を渡し「これは貴方の主君の孫策将軍の御父上からお預かりしていた物である。どうか貴方の手から孫策将軍へお返しし、手土産とするがよろしかろう」と言った。
張勲・楊奉・紀霊らに率いられた袁術軍10万は、曹操軍へ雪崩を打って襲いかかったが、曹操は巧みな指揮でよく防いだ。呂布も城から出撃しようとしたが、水攻めにより進路は閉ざされ、曹操と同盟を結ぶ劉備軍が背後に回ると、袁術軍は兵力の二分を強いられ、戦況は膠着した。 だがそこへ孫策が現れ「玉璽を預けた見返りに与えられた3千の兵を、今こそ十倍にしてお返し致そう」と3万の兵で曹操軍の背後を襲った。 さしもの乱世の奸雄も小覇王の急襲は予期できず泡を食った。不利を悟った劉備は曹操を見捨て関羽・張飛とともに戦場を去っていき、それを城壁の上から見ていた呂布は「やはりあの男が最も信用ならん」と手を打って笑った。
後詰めを率いて到着した袁術へ、孫策は下馬して拝礼すると「これを持つのに相応しいのは私ではありません」と玉璽の返還を申し出た。袁術は首を振り「これは天子の物であるから天子にお返ししなければならない」とキラキラした瞳で破顔一笑され、「今こそ逆賊曹操の手に囚われた献帝を解放する時である」と宣言し、配下はもちろん孫策軍・呂布軍の兵も鬨の声を上げてそれに答えた。
曹操軍は敗走し、疲れ果てた兵らは喉の渇きを訴えた。曹操は「あの丘を越えれば梅の林がある」と言い、梅の酸っぱさを想像させてつばを出させ、喉を潤そうとした。だが丘の向こうには青々とした熟していない温州蜜柑の林があり、その渋味を思い浮かべた兵は次々と倒れていった。動きの鈍った曹操軍は追いつかれ、曹操もついに太史慈によって首を討たれた。
翌200年、袁術・孫策・呂布ら連合軍は献帝の捕らえられた許昌へ向けて進発した。 北方を制圧した袁紹も、従弟の袁術に呼応し官渡へと兵を進めた。 曹操の後を継いだ曹丕は弱冠14歳と若く未熟で、先の戦いで主だった将を失ったこともあり、連敗を重ねた。 城に閉じこもり攻めあぐねさせたが、陳琳の発した檄文に「曽祖父のことはともかく私を悪く言うのは許さん」と激昂して城を飛び出したところを、待ち構えていた顔良・文醜によって殺された。
宛城の張繍に仕える賈クは、趨勢が決まったと見るや胡車児に命じて献帝を盗み出し、袁術のもとへ送り届けた。 傀儡の立場をようやく脱した献帝は大いに喜び、袁術から返されようとした玉璽を両手で押しとどめ「朕が曹操の、いや董卓の手に落ちた時、すでに後漢王朝は終わっていたのだ」と言い、「どうか代わりにこの中華を治めて欲しい」と帝位の禅譲を申し出た。 袁術は再三再四にわたり固辞したが、孫策・呂布らの勧めもあり、ついに帝位についた。 かくして200年、仲は建国された。
荊州を支配する劉表は野心深き男だったが、すでに天下は定まったと落胆し、病を悪化させ没した。後を継いだ息子は仲軍の到来を待たずに降伏し荊州を明け渡した。
益州の劉璋、漢中の張魯も先を争うように降伏を申し出た。 西涼の馬超・韓遂らは生来の反骨心でなおも抗戦しようとしたが、袁術から贈られた温州蜜柑で転んで頭を打つと、一点の曇りもないキラキラした瞳で降伏を決意した。 交州の士燮は老衰によって倒れ、いったんは董奉の与えた仙薬で息を吹き返したが、袁術から贈られた見舞いの温州蜜柑を喉に詰まらせて結局は没した。 遼東では若き公孫淵が虎視眈々と反乱を企んでいたが、叔父の公孫恭は袁術から贈られた温州蜜柑を食べるとEDが回復し、十八人の子をもうけ、公孫淵が後を継ぐことはなかった。
野心ある劉備は諸葛亮を訪ね何やら画策していたが、断崖を越えようとしたところ、愛馬の的盧が温州蜜柑の皮で足を滑らせ谷底へ沈んだ。 これにより三顧の礼に一回足らず、フラグが立たなかったため諸葛亮が草蘆を出ることはなかった。
かくして宿敵は全て消え去り、袁術は中華の統一を果たしたのである。
袁術は高齢により床に伏すことが多くなり、温州蜜柑を見舞いに所望した。荷駄隊によって運ばれたが、その道中で左慈と名乗る老人が代わりに荷を背負ってやると、不思議と軽くなるという出来事があった。 袁術は届けられた温州蜜柑を喜んで食べようとしたが、どれも皮ばかりで中身は空だった。 袁術は「朕の運命を変えた温州蜜柑を恐れ多くも口にしようとした罰に違いない」と考え、罪滅ぼししようと、占いに長けた管輅を呼び、温州蜜柑の精に伺いを立てさせた。
管輅はある土地に立つ温州蜜柑の老木を訪ねるとよいと占い、袁術は病を押して自らそこへ向かった。 温州蜜柑の老木の下では、キラキラした瞳の赤児が泣いていた。袁術はそれを抱き上げると「この子こそ温州蜜柑の生まれ変わりに違いない。朕はこの子に帝位を譲ろう」と言った。
それが幼き日の私である。
袁術の病は篤くなり、今際の際に「蜂蜜が舐めたい」と言った。群臣は「温州蜜柑ならありますが」と勧めたが「温州蜜柑のおかげで今の私があるのだ。口にするなどとてもとても」と言い、キラキラした血を一斗余りも吐いて崩御した。
帝位を継いだ私は国の名を温州蜜柑にちなんだ「蜜」と改め、なんやかやあり世界を統一した。
時は下り1977年。 NASAはボイジャー探査機に宇宙人への贈り物として、55言語のメッセージや世界の名曲を収めたレコード、そして地球を代表する食物として温州蜜柑の種を入れたカプセルを乗せて、太陽系の外へ打ち上げたという。 |