妻※
※ 博士が亡くなるまで「妻」と呼んでいたのは30cmほどの木の枝であった。 「奥様」が初めて現れたのは私が研究所に入所してから2年ほど経ったある日のディナーだった。博士は小枝を恭しく机に乗せ、ギャルソンを呼び椅子を一脚要求したのだった。(幸いなことに、奥様は既に食事を済ませていたようだった)初めテーブルは水を打ったように静まったが、徐々に低い笑いが広まっていった。皆ジョークだと思ったのだ。その日はチームを労う気の置けない会食だったこともあり、また研究者というものはどこか奇妙なセンスを持っている人間も多く、誰もが博士がふざけているのだと思っていた。帰り際にわざわざ「奥様」に丁重な挨拶をする者すらいたほどだった。今でもあの日博士が「妻」に触れていた指先がテーブルのキャンドルに照らされ、どんなサンプルを扱う時よりも優美だったことを思い出せる。次の日も博士の仕事ぶりに何ら変わったことはなく、若くから天才と呼ばれたその才気は衰えるどころか益々冴え渡るかのようだった。それから華々しい業績を重ねる中で、博士はその枝をずっと「妻」として扱い続けていた。大多数の見解としては、これは博士なりのジョークで煩わしい社交マナーをクリアし研究に専念するためのエレガントな発明だということになっていたが、博士が正気を失った兆候ですぐ任を解くべきだという者や彼は同性愛者でそれを隠すためだと言い始める者まで様々な憶測が乱れ飛んでいた。ただありがたいことに、それを表に出すほどの野蛮さは皆それまでの教育過程で捨て去ってくれていたようだった。当時一番若い研究員だった自分は比較的多くのフェローと話す機会があったが、人々がこれほど興味津々でトピックとし続けていることに驚きを禁じえなかった。研究所という閉鎖的で刺激の少ない環境も影響していたかもしれない。いずれにせよ、ほぼ全員が博士の妻をジョークだと思っていた。しかし、当時博士に可愛がってもらい、晩年は身辺の整理を任せて頂いていた自分としては、博士は本当にその小枝を愛していたように思えるのだ。人はすぐに愛情を性愛と結びつけるが、そういったフェチズムのようなものではなく、博士は純粋にその小枝を愛していた。ユーモア感覚に乏しい同僚達がからかい気味に「奥様のご機嫌は?」などと聞いてきても、博士は少し悲しそうな目をしながら真面目に答えていた。博士が小枝を妻だと紹介し始めたとき、初めは皆理解しようとした。思い出の人や場所に所縁のあるものか?とか亡くなった両親に似た模様があるのか?とか、とにかくあらゆる手を使って納得できる説明を得て落ち着こうとして質問をした。しかし博士はただ森で出会った、と返答するだけだった。そういった自分勝手な紐付けと落胆を繰り返して、人々は博士の妻をジョークだと結論づけるに至った。人は自分の理解できないものをジョークだと思いたがる。例え職務が研究員であっても、自分の理解が及ばない他者の内面について、本質的ではないが穏便かつ既存の処理をすることはままある。ただ周囲がどう反応しても、博士は変わらなかった。奥様と毎晩共に眠り、朝はおはようと声をかけ、毎週末は年代もののシトロエンの助手席に乗せ、遠出を楽しんでいた。博士の葬儀で、私は遺言通り小枝 ー 奥様をそっと墓標の横に挿した。共に眠ることを選ばなかった理由は遺書に書かれていなかったが、どこか博士らしかった。 |